今週のドイツ・フランクフルト市内はどこか浮足立っている。街中のキヨスクでは連日アイントラハトの話題を伝える見出しが軒先に貼られている。アイントラハトとはドイツ・ブンデスリーガに属するこの街のクラブ、アイントラハト・フランクフルト(以下、アイントラハト)のことで、街の住人たちは英語で『ユナイテッド』を意味する『アイントラハト』の呼称で親愛の情を示す。
1899年に創立されたアイントラハトは1959年に旧1部のドイツサッカー選手権で優勝したことはあるものの、1963年に新設されたブンデスリーガでは一度もタイトルを獲得したことがない。一方で、このクラブは国内カップ戦にあたるDFBポカールを過去に5度制している。4年前、2017-2018シーズンにベルリンのオリンピアシュタディオンでバイエルン・ミュンヘンを下して30年ぶりの戴冠を果たした際はベルリンのテーゲル空港からフランクフルト国際空港へ降り立ったチームが警察車両の先導を受け、市内中心部のレーマー広場に集った約30万人の市民の前で優勝報告をして熱狂の渦に包まれた。
また、アイントラハトは1979-80シーズンに現在のUEFAヨーロッパリーグ(以下、EL)の前身であるUEFAカップを勝ち取っている。ブンデスリーガの中堅クラブであるアイントラハトにとって、UEFAチャンピオンズリーグ制覇はその経営規模からも儚き夢と化している。
一方で、ELは2018-2019シーズンにFWルカ・ヨヴィッチ(レアル・マドリー/スペイン)、セバスティアン・ハラー(アヤックス/オランダ)、アンテ・レビッチ(ACミラン/イタリア)の強力3トップの力を前面に押し出したチームスタイルでインテル・ミラノ(イタリア)、ベンフィカ・リスボン(ポルトガル)らの強豪を打ち破り、準決勝でチェルシー(イングランド)にPK戦で敗退するも悲願成就まであと一歩まで迫った。すなわちアイントラハトにとってのELは『現実的な夢』であり、だからこそこのクラブに関わるコミュニティはチームのELでの勇姿に熱い視線を送るのである。
そんなアイントラハトで『Der Euro』、すなわち『ユーロ男』と称される選手がいる。それは背番号15を背負う、一見すると華奢なMF鎌田大地である。
■グラスナー監督率いるチームの基本理念
(C)Getty Images
今季の鎌田は自身の周囲に漂う乱気流の中を突き進んできた。経営面の問題から毎年主力選手を放出して将来性のある若手を中心に編成が為されるクラブで、新任のオリバー・グラスナー監督が新たなチームスタイルを導入する中、鎌田は自身の役割を慎重に見極めてきた。
シーズン序盤のアイントラハトが直面した課題はFW不足による得点力欠乏だった。一昨季まではヨヴィッチやハラー、そして昨季はアンドレ・シウバ(ライプツィヒ)といった絶対的ストライカーが存在したが、今季加入したFWのラファエル・ボレやサム・ラマースはチームへの順応が遅れ、フィリップ・コスティッチや鎌田らの中盤がチャンスメイクしてもゴールに直結するシーンが限られた。ただ、それでも鎌田の能力は異彩を放ち、グラスナー監督は彼を3-4-2-1のインサイドハーフに据えて新加入のイェスパー・リンドストロムと共にミドルエリアでのタクティシャン的役割を課した。
グラスナー監督が志向するチームスタイルはブンデスリーガの世界で多分にノーマルなものだ。オーストリアのザルツブルク出身で、オーストリア・ブンデスリーガでの現役生活を経て大学で経営学の修士号を取得したグラスナー監督は当初、レッドブル・ザルツブルクで経営部門のスタッフとして従事していた。しかし、当時ザルツブルクのスポーツダイレクターを務めていたラルフ・ラングニック(現マンチェスター・ユナイテッド監督)から指導者の素養を見出され、現場での職務を自ら選択した。すなわちグラスナー監督の指導者理念の根底には、かつてラングニックが標榜した『ゲーゲンプレッシング』の概念がある。
今季のアイントラハトは局面強度の高さを前面に押し出している。その結果、中盤中央にはジブリル・ソウ、クリスティアン・ヤキッチといった“戦士”を配備し、バックラインもマルティン・ヒンターエッガーを中心にエヴァン・エンディカ、トゥタといった対人能力に優れるDFが配備される傾向にある。それでも38歳の長谷部誠が時を経るごとにグラスナー監督の信任を得て出場機会を増やしていった過程は驚異的なのだが、その長谷部の立身の過程は今回省略することとする。
グラスナー監督は当然前線ユニットにも局面強度を求める。左サイドで絶大な力を発揮するコスティッチはスピードとパワーを兼ね備えた“モンスターマシン”で、インサイドハーフで汗をかくリンドストロムは機動力と積極性を融合させた好戦的なMFだ。そして今冬にボルシア・ドルトムントから加入した20歳のアタッキングMFアンスガー・クナウフの存在感が今、クローズアップされている。長らく右サイドの最適任者を見出せないでいたアイントラハトにとって、躍動感に溢れるクナウフはグラスナー監督の理念を体現化するための導火線になりつつある。
■鎌田最大の強みとチームでの活かし方
(C)Getty Images
ハイフィジカル、ハイテンポを信条とするチームの中で、鎌田は自らが備える特殊なスキルをチームに落とし込む努力を怠らなかった。持続的なスピードで相手を突き放せないことを自他ともに認識する中で、彼が標榜する強みは心身両面でのクイックネスにある。
ブンデスリーガの舞台で、相手に背中を向けてプレーできる選手は限られている。代表的なのはロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン・ミュンヘン)で、彼は相手DFのプレッシャーにさらされても体軸を振らさず、正確無比な挙動でゴールを射抜く能力に長けている。
一方で、鎌田もまた、相手に背中を向けてプレーアクションを起こせる選手だ。鎌田のフィジカル能力は高くないが、彼には相手を出し抜く意外な判断と絶品の技術がある。360度の可動域があるかの如き足首で巧みにボールレシーブの角度を変え、トラップ、ワンタッチパス、ドリブルと複数の選択肢から局面に応じた最適解を導き出す。対峙する相手は鎌田の挙動を予測しきれずに置き去りにされたり、あるいは逆態勢を取られて尻もちをつくことさえある。鎌田は壮絶なツヴァイカンプ(1対1)が繰り広げられるドイツの舞台で生き抜く処世術をすでに会得している。
ただし、最近のブンデスクラブは鎌田の挙動を認識して研究を尽くしている。その結果、鎌田はドイツ国内で新たなステップアップを目論む時期にある。
ブンデスリーガ第23節の1FCケルン戦で後半開始から途中出場した鎌田は相手に身体を寄せきれずに失点のきっかけを生み、後半アディショナルタイムにグラスナー監督から交代を命じられ、その場で叱責される憂き目にあった。タフなプロサッカーの世界では意見のぶつけ合いは日常茶飯事で、特にドイツでは忌憚のない主張や発言が事態を好転させるきっかけにもなる。その証拠にグラスナー監督は後に、鎌田への信頼が揺るがないことを公の場で述べている。
「ケルン戦後に、ダイチに対して『常にメンタルを保たねばならない』と言った。ただし、ケルン戦は決して彼のせいで負けたのではない。それでも彼は、我々に勝利をもたらすことができたはずだ。ダイチは決定的なラストパスを出せるクオリティを有している。だから言ったんだ。『途中から試合に入るのならば、君もシュトゥットガルト戦でヒーローになったアイデン(フルスティッチ。※第21節のシュトゥットガルト戦で交代出場から決勝点をマーク)のようにチームを助け、勝利に導いてほしい』とね」
■ELバルセロナ戦で求められること
GOAL
監督の檄を受けて発奮した鎌田は第25節のヘルタ・ベルリン戦で1ゴール1アシストをマークして4-1の勝利に貢献。その余勢を駆った鎌田は4日後のELラウンド16第1戦のレアル・ベティス(スペイン)で相手ゴールを打ち破る殊勲の決勝ゴールをマークし、チームのベスト8進出に大貢献したのだった。
ELの鎌田は2019-2020シーズンのアーセナル(イングランド)戦での2ゴール、ザルツブルク戦でのハットトリック、そして今季のベティス戦でのゴールと、大一番での活躍が目立つ。ちなみに今季はEL全8試合に出場して4ゴールと大車輪の働きを示している。
鎌田がELで躍動する要因は様々に考えられるが、一つの推察として、鎌田対策に勤しむブンデスリーガクラブと比して、ヨーロッパの各クラブは先述した鎌田の特異な“マジック”への耐性が無いのではないか。ありえない方向へボールを置くトラップ、変拍子で繰り出されるパス、タイミングで外すドリブル、コンパクトな振り足から放つパンチショット。彼の振る舞い全てが、ヨーロッパの歴戦のDFを混乱させている。
今回の大一番、EL準々決勝・バルセロナとの第一戦。アイントラハトのホーム『ドイチェ・バンク・パルク』で求められる鎌田の役割はすばり、ハイフィジカル&ハイテンポに持ち込むチーム戦略の中で一瞬のカオスをもたらす『変調』にある。“レジェンド”チャビ・エルナンデス監督の下で劇的な復調を遂げ、先のクラシコでレアル・マドリーに大勝したバルセロナと真っ向勝負するのは分が悪い。一辺倒はむしろ相手が標的を定めやすくなる。その中で、突如のチェンジ・オブ・ペースで鎌田がマジックを“召喚“できれば……。
脈打つ歴史で、アイントラハトと鎌田は今回初めてバルセロナと対峙する。日本の“クラッキ”が『ブラウ・グラナ』(カタルーニャ語で青と臙脂。バルセロナの愛称)を出し抜く舞台は、すでに整っている。
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